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ありがとうとごめんねと

3月16日(金)15時46分、父が天に昇りました。
気づいたら一ヶ月が経ってしまいました。
この一ヶ月、多くの皆さまに心のこもった言葉やお気持ちの励ましと慰めをいただき、心から感謝しています。
葬儀に駆けつけてくださった方々、お忙しい中本当にありがとうございました。
急な昇天で、準備のない中での葬儀やその後の事ごとは、いつもの生活をますます慌ただしいものにするばかりで、家族それぞれはなかなか自身の悲しみと向かい合うことが難しいものだと、我が身に起こった現実に直面して改めて知りました。
人間に生まれた以上、すべての人が味わう悲しみと喪失感と後悔と感謝なのだと知りながら、やはりもっともっと話しをしておくべきだったと、ありがとうをもっともっと伝えておくべきだったと、際限なく父への叫びが体の芯から込み上げて止まることを知らない毎夜を、我がこととは思えず驚いている自分がいます。
厳格で真面目でひょうきんで、不器用で隠し事ができずこわがりで、気どったことは苦手で何事にも丁寧だった父。
亡くなった日も、不自由な母に代わって毎日の日課の家事を朝から順序正しく行い、お風呂も洗い洗濯物を丁寧にたたんでくれていた父。
私が23歳でクリスチャンになった時、「おまえは外人か?日本人なら日本人らしく生きろ。勝手にしろ。」と言って洗礼を受けようとした私を突き放した父でしたが、この5年ほどは私たち夫婦と食事をする時にはいつも手をつないで一緒にお祈りをしていた父。
亡くなる前の晩、実家へ夕ご飯を作りに行った私が配膳を済ませてテーブルにつくまで、手を出してお祈りするのを待っていた父。
テーブルの向こう側に座っている不自由な母の手を取るため、立って手を伸ばして母の手を握り、立ったまま一緒にお祈りをしていただいた夕ご飯。
お父さん、あれが最後の夕食になりました。
母の手を握ることのできるほんのひとときのお祈りの時間は、父にとってどれくらい平和な時だっただろうか、と今は思うのです。
お父さん、お父さんはしあわせだったかなあ。
そう思うと苦しくなるだけの日々でしたが、そんな父にも広い自由な時空のあったことを知ったのです。
安らぎを求めていた父の、大切な平和な時空は詩吟の「ことば」の海にあったということを、葬儀の準備の中で詩吟のお弟子さんたちから聞いて知ったのです。
漢詩や和歌の「ことば」を詠うことを愛し続けてきた父の、「ことば」への愛着と憧れの感覚が、私のそれに通じていることを、お父さん、あなたが天に召されてから改めて知りました。
お仲間が持ち寄ってくださった詩吟の教本の中の漢詩の美しいこと、眩しいこと。
あんなに広い平原とあんなに果てなく広がる海原を、一人で悠悠と泳いでいたのですね。
そこにはきっと父の安らぎと、平和と希望と憧れがあったのだろうと直感しました。
よかった。
お父さんにも、安らぎのある時空があったのなら、それなら私も安心した。
と、心の中で何度も言ってはみたけれど、それならどうしてもっとその「ことば」の時空を一緒に共有しなかったのかと後悔が渦巻きます。
それでもいま、父が迷わず天国へ昇っていったことを信じることができるのは、亡くなった後の顔があまりにも美しかったから。病気がちだった人生全般の苦しい顔つきを忘れたような、微笑みかけるようなやさしい顔で、天国へいったことを教えてくれたね。
だったら待っていてください。
私もまあそのうちに行きますので。その時には「ことば」の話しをしたいなあ。詩吟のひとつも吟じられるように練習もしておきます。
ありがとう。ありがとう。
もっともっと話せなくてごめんね。
お父さんのこどもでよかったです。
こうして歌に出会えたし、こうして「ことば」の海を泳げる自由を知ったから。
感謝の花束投げますよ~。
ありがとう。ありがとう。
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