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神の作品

ブログ324桜


 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2-10)



 今日は、午前中夫と一緒に教会の礼拝に集いました。
 上の聖書のみことばは、今日のわたしに与えられた大切なことば。
 
 礼拝後、午後は執筆仕事のために夫と分かれて一人で帰宅し、静かに書き物に集中しました。本当に久しぶりに、午後の静かな時間を書くために与えられた有意義な時。
 ああ、やっぱり「書く」時間はいいなあ。
 音のない空間で、一人書く時はどうしてこうも真っ直ぐで素朴な呼吸がからだをめぐるのでしょう。
 飾らない、気負わない、だけど流れてくる自然な言葉が、指をつたってどんどん文章になっていく様子は自分でも心地よくて、ずっとこのまま何日も書き続けていたらきっとからだじゅうから淀んだものが無くなるだろうとさえ思えてしまう。「書く」という作業は本当に不思議です。
 夫が帰宅した19時までのほんの4時間、ぐずついた気持ちの一切ないすっきりした仕事のできた午後になりました。ああ、いい気持ちだ〜。


 上の聖書のみことばエペソ人への手紙2章10節に、「私たちは神の作品であって〜」とあります。「神の作品」の「作品」は、ギリシャ語でポイーマ。英語のポエムもここからきているということを今日知りました。「作品」は、詩であり歌であり芸術作品なのです。私は、神が愛をもって喜び慈しみながら造ってくださった神の作品。しかも「良い行いに歩むように」という目的を持って造ってくださった。
「良い行いに歩む」とは、私の人間的レヴェルでの善行に励むことというより、単純素朴に神様を愛して信頼し喜んで日常の生活をすること。

 忙しさは、そうした単純素朴な生活の営みを乱す心を生むということを、私自身が一番よく知っています。この忙しさを纏った心で日常生活(歩み)をさせるために私は作品として造られたのではないなあ、と今日はそのことをつくづく知らされたのです。
 「良い行い」、、、単純素朴な神に信頼した日常の営みを喜ぶ暮らしをするために、私は詩として造られたんだ。私が神の作品として造られたその目的をもっと知って、ただ神を愛して信頼して、単純素朴に歩めるようになりたい。

 忙しさは捨てよう。
 これは私の当面の課題。
 そして、単純素朴に日常生活を喜んで歩もう。単純素朴に。
 神様が詩として私を造ってくださった目的をもっと知って。
 そのことを祈り求めよう。



IMG_0360.jpg


 我が家の前の通りは、例年通り濃いピンクの桜で見えなくなる向こうまで、ずっとずっとピンクの道になりました。このピンクの道をバスごと包まれて通ってくると、この街で新しい生活をはじめた時の奇跡を見ている単純な喜びと感謝の気持ちが、全身を柔らかく突き抜けました。
 
 「良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」と書いてあるから、自分で頑張るのでなくその良い行いに導かれるよう、日々の暮らしを安心して信頼して、見えるもの感じるもの出会うもの何もかもに感謝していよう。そして単純素朴に喜んでいよう。今日「書く」時間がただ楽しかったように。
 忙しいと言うのをやめるだけでなく、忙しいをやめよう。「書く」時間、「話す」時間、「聴く」時間、「奏でる」時間、そして「祈る」時間を喜べるように。







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プロフィール

市原よしみ/大谷よしみ(惠美)

Author:市原よしみ/大谷よしみ(惠美)
こどもたちお母さんたちと音楽をしながら、ことばを紡いだり、ぼんやりしたり、夢中になったりしています。美しいものに心を奪われて「きれい〜〜」と感じるのがとても好きです。うっとりしながら喜んで過ごす毎日の中で、どんどん繋がる新しい出会いに感謝して、神様からの恵みを数え笑顔で歌っています♪

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